<深川屋十四代目の掟>


 慶長5年(1600)、関ヶ原の合戦に勝利し、天下統一を果たした徳川家康は、翌慶長6年(1601)、全国支配の礎として道路の整備と交通制度の改革に着手する。
 江戸日本橋を拠点に延びる、主要な五つの道路を幕府直轄の道路として治め、のちに「五街道」と呼ばれたそれらの道路は、参勤交代の制度を支える交通インフラとしての機能を果たした。

 その五街道の一つ、「東海道」にある四十七番目の宿場が亀山市の「関宿」である。


関宿は江戸時代、東海道から伊勢街道と大和街道が分岐する宿場であり、参勤交代や伊勢参りなど大勢の往来客で賑わったが、現在は当時の町屋の姿を残したまま、ゆっくりとした時間が流れている。

 その関宿に、徳川三代目将軍・家光の時代から続く老舗和菓子店がある。東海道を通る大名にも愛された銘菓、「関の戸」を作り続ける「深川屋」。


 この深川屋、江戸時代は徳川家おかかえの「忍び」として幕府から諜報活動の命を受け、「和菓子屋」という商売を隠れ蓑にしながら各藩や朝廷の動向を探っていたという。現在の価値にして1粒1,000円ほどで関の戸を販売することにより、高級な和菓子を求める大名らに親しまれ、参勤交代の大名から各藩の情報をそれと知られることなく聞き出していたのが深川屋の始まりであった。

明治時代に入ると砂糖の値下がりとともに関の戸の価格も引き下げ、一般の庶民にも広く親しまれるようになる。その後、鉄道の開通とともにお土産品としての利用も増え、現在では地元民をはじめ観光客にも愛される、関の和菓子となっている。

 大きな時代の流れに揺られてきた関の戸であるが、江戸時代の創業以来変わらないのが、その作り方である。


 江戸時代に記された素材の配合を忠実に守り、代々受け継がれてきた伝統の方法で作られ続けている関の戸。その味を守ることは店主の定めとして、深川屋の掟に刻まれている。

 江戸時代、人の往来の激しかった関宿。現在も伝統的な街道筋の雰囲気をとどめ、伝統的な建築物が多く残されている。
 この建物を残すためには、それを大切に思う人の心をつなぐことが重要だと、深川屋14代目の服部吉右衛門亜樹さん(55)は語る。関宿の雰囲気や伝統的な建物を大切に思う人がいれば、おのずと設計や建築の技術は伝承されていくのだと。


 その点、和菓子についても同じことがいえるという。関の戸の味を愛し、お店を訪れてくれるお客様がいる限り作り続けられるのだと、服部さんは教えてくれた。

 日々、朝の3時半から関の戸作りを始めるせわしない日常の中で、370年間続く和菓子屋、深川屋としての沽券を保つ、一つの習慣。
 「着物を着て商売すること」
 着物特有の小さな歩幅でゆっくりと歩くことで、江戸の時代を生きた人々の触れた、時間や景色の流れを見せてくれるのだという。

 14代目服部さんの作る深川屋の関の戸は、おかげ横丁味の館・ばん茶茶屋にて販売している。
 

 
銘菓 関の戸(6個入り) ¥540(税込)
茶の香 関の戸(6個入り)・黒糖 関の戸(6個入り) ¥648(税込)

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