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<鮎の甘露煮の元祖を辿る>

北に櫛田川、南に宮川と、水流豊かな2本の一級河川の間に多気町はあります。多気町の中で櫛田川に面する相可地区では、この豊かな水源を利用し、鮎漁が盛んに行われてきました。
 江戸時代に活躍した松阪商人は、櫛田川で獲れた鮎を舟で三河まで運び、商いをしたとされています。




  山と川に囲まれ、魚を食べる機会の限られたこの地域では、鮎は貴重な食材でした。
夏、素焼きにした鮎を干して乾物にすることで日持ちさせ、お客がいらしたときには乾いた鮎をお茶でもどし甘辛く煮てお出しする風習があったそうです。
この鮎料理は、「紅梅煮」、「飴煮」、「煮浸し」などと呼ばれ、各家庭のおふくろの味として親しまれてきました。大鍋で鮎を煮るため時間のかかる料理で、現在は家庭で作ることは珍しくなりましたが、今でもこの鮎料理を提供するお店が地域に数件残されています。
慶応元年(1865)創業の「うおすけ」も地域の鮎料理を作り続けているお店のひとつ。この料理を「鮎の甘露煮」と名付け、現在、5代目となる茶谷明樹氏が経営を引き継ぎました。
うおすけの鮎の甘露煮は、まず鮎の串打ちをするところから始まり、素焼きにしたあと伊勢茶で煮だし、昆布と鰹のだしに醬油と砂糖を加えて炊き上げます。鮎の素材の味を引き出すため、醬油は無添加にこだわり、さらに地酒と味醂を入れ、だしも素材から煮出しています。直火で炊いた大鍋の蓋を取ると、柔らかな醬油の香りとともにふっくらと照りのある鮎が炊き上がりました。

材料に配慮し、いくつもの工程を重ねて直火で長時間かけて炊き上げることにより、口にしたとき骨まで柔らかく、臭みのない鮎本来の旨みを感じることができます。


 「小学生の頃は毎日川で遊んでいた。」という茶谷氏にとって、自らの育った櫛田川をはさんだ相可、射和地域は想像力の溢れる場所でした。雄大な山々と清らかな清流が生み出す、ゆったりとした時の中で、鮎のことや将来のこと、思いを馳せるものがたくさんあったと言います。うおすけの5代目として次に繋ぐ次期、茶谷氏は「地域文化の伝承」が大切であると語ります。
鮎を大切に食す家庭の文化や屋形船で鮎を楽しむ文化など、子どものころ当たり前にあった地域の光景を思い浮かべ、伝え残していくことが重要だと言います。そのため、素材にこだわった鮎と調味料、時間のかかる調理方法では「商にならない」のですが、鮎の食文化を伝え、お客様に喜んでも…

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